不動産取引の歴史

いつもご覧いただきありがとうございます。

唐突ですが、皆さんはいつから『不動産の取引』が始まったのかご存じですか?
この仕事を始めて、10年ほど経ちますが、それ以前の私は歴史に全く興味がありませんでした。
不動産取引を行うために、必ず物件調査をしますが、その調査をしていく中で。
その物件がどのように利用されてきたのか、また、その地域の特性や歴史などに触れ合うようになって行きました。
人にも不動産にも歴史があり、歴史を知ると楽しくなり、さまざまなことに興味が持てるようになりました。
と言いつつも、不動産業の歴史について全くの無知でした。

ということで、この不動産取引、生業について少しばかり調べたことを書かせていただこうと思います。

始まりは、『班田収授法』
これは、645年飛鳥時代
大化の改新により『公地公民制」が制定され、土地と農民はすべて朝廷のものと定められました。
701年、『班田収授法』が発令
『朝廷が6歳以上の者に対し、班田(農地)を与え、耕作使用させ、
与えられた者は、その土地で収穫した作物から『租(税)』を朝廷に納める』というシステムです。

このとき、あくまでもその土地は朝廷のものであり、班田収授は取引ではありません。

『班田収授法』での税の取り立ては厳しく、農民が逃げ出すことも多く、うまく行きませんでした。
その後、奈良時代になると『墾田永年私財法』が発布され、新しく開墾した耕地の私有化がおこなわれるようになりました。
不動産に対する『所有権』という権利が生まれました。

 

 

 

 

 


私有化が行われたことにより、財力を持つ貴族や寺社が土地を開墾し、所有地を拡大していきます。

これが、『荘園』です。
平安時代、『荘園』を拡大してきた貴族たちは、更なる権力者へ土地を譲り、より大きな権力を手に入れます。

この時代もっとも権力をふるっていたのが藤原氏です。
こうして、有力貴族が力をつけていくと、力の衰えた豪族や、開墾により土地を所有していた農民たちが、自分たちの土地を守ろうと
武装しました。更には武士団を作り、武力で領地を拡大するようになって行きました。
源家と平家と争いも領地の争いです。武士の力が大きくなり、貴族は力を失っていきます。

そして1185年、壇ノ浦の戦いにより源氏が勝利し、鎌倉幕府が成立します。
武士政権の時代の始まりです。
日本全土の荘園は幕府が支配することとなりました。

その後、室町時代には守護大名が土地を支配し、日本全国の土地は『守護領』となります。
その後、その領地をめぐり、大名が戦をして領地の拡大をして行く戦国時代へ突入。
守護領の家臣が力をつけ領地の支配権を持ったりもしました。
支配者がコロコロと変わることによって、土地の権利は複雑化されていきます。

そこで安土桃山時代、豊臣秀吉が『太閤検地(1582年~1598年)』を行いました。
年貢がちゃんと納められるように土地を測量し、収穫量を計算し、所有者名簿を作ったのです。

江戸時代にはもう少し基準を整理し、土地に関する基本的ルールが制定されます。
このルールの中で、農地の売買が禁止されました。
農地以外の土地売買は禁止されておらず、日常的に売買が行われ、所有権移転を証明するための『沽券』が発行されました。
この『沽券』には、売主の署名捺印の他、名主(役人)の署名捺印も必要であり、取引の場所も一般的には名主の家でした。

この頃が日本の不動産売買取引の始まりと言えるようです。

江戸時代、江戸の町人は100万人を超えます。
しかし、町人が所有する土地は少なかったため、土地を所有している町人や武士、豪農が
多くの『長屋』を建てて町人へ貸し出していました。
更にその頃すでに『家守』という、賃貸管理業者も存在したそうです。

以上が、不動産取引のルーツです。

ルールに則った取引が行われ始めたのは江戸時代、約420年前ということになりますが
不動産業の始まりは、もう少し先です。都市の近代化に伴い明治5年の太政官布告『地所永代売買禁制ノ解除』で、
すべての人に土地の所有権や売買が許されることから始まります。
その後も色々な土地取引に関する法律が整備され、少しずつ不動産業という産業に発展していきました。

長い年月を経てようやくここまでたどり着いたのですね。
『なんで?いつ?誰が決めた?』漠然としたなぞが、今回調べてみて、少しだけですが、わかった気がしました。
明治以降の発展についても引き続き勉強していきたいと思います。

拙い文章ですが、最後までご覧いただきありがとうございました。

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